ここは跡地です
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日曜日の過ごし方 3
日曜日は、例によってレース中継を観るのだが、今年初めて、F1中継を観た。今までは、どのチャンネルでやってるのかわからなかったのだけど、朝チャンネルをガチャガチャやってたらたどり着いたのだ。
モトGPの中継を何回か観てて感じてたことをF1中継ではっきり感じた。こっちの中継はレースが終わってからが、日本の中継よりもうんと長いのだ。
カメラは、ビクトリーランの間にロス・ブラウンを捕まえて、早速インタービューするし、ピットクルー等と抱き合って延々と喜ぶところから、通路をあがってポディウムにあがるまでの一部始終を捉える。途中、スタッフと抱き合い、アロンソが硬い表情で右手を出すシーンを捉える。
スポーツを観戦するとき、人はスポーツを通してプレイヤーその人を観たいのだと思う。プレイヤーが喜び、悔しがるのを観たいのだと思う。人はそこにドラマを感じる。プレイそのものでドラマを作り出すのは難しい。結果だけで言えば、史上初めてアメリカからアメリカズカップを奪ったオーストラリアチームの勝利がドラマチックと言えるだろうが、そこからカップルーザーと呼ばれた男がカップを取り返すまでの次戦、取り戻すまでの物語の方に人はドラマを感じるだろう。
プレイそのものが一流でなくても、人気を獲得することはできる。新庄や高見盛のように。完全に試合だけしか放送されず、試合前の練習、お立ち台、キャンプ情報等、全く知らされないなら新庄の今の人気はないのではないか。彼のキャリアスタートが当時の日ハムだったら、今の人気はなかったはずだ。人は新庄のキャラクターを知ってるがために彼の打席に期待する。何かやってくれるはずだと思う。凡退しても、ああやっぱりと思う。そこで何が起きても、新庄らしいと思う。それが観客が作り上げた新庄というキャラクターで、新庄選手がプロのスポーツ選手として観客に提供しているものだと思う。
モータースポーツは、その点で明らかに不利だ。選手はヘルメットの下に表情を隠し、箱のレースなら姿さえ観えない。何の予備知識もない人が観て、感情移入することは難しい。例えば野球中継であれば、全く知識がなくても、打席で凡退し、ひどく悔しがる選手は印象に残る。そして、次の打席が回ってきたとき、今度はどうだろうと期待できる。モータースポーツには、それがない。多くの場合、車を識別することさえ難しい。モータースポーツ観戦を楽しむには多くの予備知識を必要とする。この車はあの車とここが違う。誰選手はどの車に乗ってる。 同じ車だけどタイヤが違うんだよとか、同じチームだと何がどうなの? なんで途中で給油するの?とか なんで途中でタイヤを交換するの? マスダンパーはレギュレーション違反になったんだよ。え、レギュレーションって?
ロッシがビクトリーランの途中でバイクを止めて、観客と抱き合うのを観るのにルールも予備知識も関係ない。1位になるとあんなにうれしいんだと素直に感じいれる。ポディウムで椅子に座り込み、疲れきったという仕草を彼がしてみせるとき、初めての人には彼のキャラクターが植え付けられ、次の機会があれば黄色いツナギの選手を追いかけるだろうし、前から彼を知ってる人は、彼が幾つになっても変わらないことに安堵するだろう。
日本のレース中継は、ほとんどの場合、スポーツニュースの延長版だ。グリッドに並んだところで、これまでのシーズンの展開、ピット情報があって、スタート、ハイライトシーンをつないで、ゴール。ポディウムをバックにして結果はこうです。ランキングはこうなりました。それでは、この辺で、次戦どこどこでお会いしましょう。これのどこに感情移入したらいいんだろう? ほとんどの選手はグリッド紹介の米粒なみの写真しか映らないのに、一体誰とお会いするのか? 毎レース欠かさず観てても、全員の顔と名前が一致する人が何人いるだろうか?
日本のモータースポーツに足りないところはそこだと思う。あまりに選手が軽んじられてるように感じられる。そもそもヘルメットで顔を隠して黒子的なのに、選手個人の表情が一切伝えられないのだったら、選手はいないのも同然だ。あまりにも無機質なものになってしまっている。
モータースポーツの主役は車なのか人なのか、価値観の問題になるかも知れないが、オレは人がやることは最終的には人に帰着するものだと思う。車が主役のレースは必ず、オレの主張の通りにシミュレーションに取って代られるだろう。そこに実質的な差異がないからだ。速い、かっこいいというのは現実でも仮想でもモックアップでも関係ない。そこにあるのは一種の妄想だろう。かっこいいは主観的で、速いは限定的だ。明らかにF1マシンよりヴィッツの方が速く会社まで通勤できるし、人によってはヴィッツの方がかっこいいというだろう。
勝負を取り巻く感情は、そうではない。うれしいや悔しいは常に現実のものだ。観客もうれしいや悔しいを体験したことがあるからこそ、選手に感情移入できるし、共感できるのだと思うし、感情移入したいのだと思う。モータースポーツに限った話ではないが、日本のモータースポーツでは忘れ去れてる部分だと思う。レースはもっとウェットなものにならないと、生き残るのは難しいように思う。
そういうオレは、やっぱり次も小暮選手に期待してしまう。彼なら、またやってくるはずだと。そして、そのやらかしたレースの後、マンガ喫茶で彼を見かければ、オレの中で彼は神になるだろう。しかし、残念なことに、オレは、もう小暮選手を見かけても彼だとわからないに違いない。それが現実だ。
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