ここは跡地です
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時間の相対性
ほ乳類は一生分の心拍数がほぼ20億回くらいらしい。且つ、心拍数により時間の感じ方が違うらしい。
心拍数の低い象には時間はゆっくり感じられ、心拍数の高いねずみには時間は速く過ぎる。心拍数の高い子供の頃は一年は長く感じられるが、心拍数の低い大人には一年はあっという間に過ぎていく。
生命に与えられた時間は一定で、時間の過ぎ方は相対的だ。
今、小学3年生の息子を見てると、幼稚さとかオレの小学校1年生の時くらいじゃないかと思う。授業のレベルもそれくらいだし。この2年分の成長の遅れが、オレよりも寿命が長いことを表しているんだと思う。
人が一生をかけて到達する成長量は一定なので、余計に生きる彼の方が成長の度合いが遅いのだ。

オレは40歳を過ぎてからというもの迷いに迷っている。どうしていいのかわからないことが多すぎる。
いわゆる不惑なのに、と思っていたけど、孔子の頃の人は人生50年だ。今の平均寿命なら不惑は75歳くらいか。オレもそれくらいになれば迷わないような気がする。わからないけど。ミック・ジャガーだって、若い頃には60歳過ぎてロックやってたくないといっていたのだ。
この理屈で言えば、寿命が延び続ける限り、近頃の若い者はという台詞は言われ続けることになるだろう。なんか、古代メソポタミアの頃から言われてるらしいし間違いないだろう。

そんなことは本当はどうでもよくて、悩みは、やっぱり就職しようかなってことだ。タイミング的には走り出した電車の最後尾に向かって飛びつくくらいのタイミングだからチャンスがあるならこれが最後だ。40歳過ぎて、こんなことで悩むなんか思いもしなかった。でも、まあ、孔子の頃の年齢に当てはめれば、30にして立つところまでいっていないはずなので良しとする。
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