ここは跡地です
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見えてる世界は違う
以前、図書館で借りて読んだ森博嗣の本に書いてあったエピソード。
子供のころ、友達と工作をして遊んだと。画用紙かなんかで自動車を作ったと。自分は切り出した紙を折り曲げて、台車部分に載せて屋根・車室を作った。お友達は切り出した画用紙1枚のぺら紙を台車部分に貼った結果、紙1枚の屋根が出来上がり、車室は形成されなかった。そんなものを作ってしまう友達に驚いた、と。
あんまり憶えてないが、そんな話だったと思う。
作者は、普段から工作になじんでないから、そんな結果になってしまうというような結論を導いていた。
確かに、訓練である程度は埋めることはできるだろう。でも、持って生まれた才能の部分の方が大きいでしょ。
足が速いヤツもいれば、絵がうまいヤツもいるという、それだけの話だ。
人はそれぞれ見えてる世界が違う。
お友達の世界では、車の屋根は画用紙1枚分の厚さで十分なのだ。それでいいよ。

娘は、歌って聞かせれば、すぐにピアノで弾くことができる。ピアノを習い始めたのと同時にそれができた。
オレにはまったく考えられないが、娘には普通なんだろう。しかし、娘は未だに靴の左右の判別が怪しいし、服の後ろ前も怪しい。音楽的素養はあっても、空間認識、形状認識ははなはだ苦手にしている。

テレビに出てた、通常知能のサヴァン症候群の方はすべての数字は固有の色や形があると云ってた。だから、人の顔を見分けるように数字を見分けることができると。
人はそれぞれ見えてる世界が違う。
画用紙1枚だったお友達だって奇跡の舌を持っていたり、天使の声を持っていたりするんだと思う。

設計職なのに、画用紙1枚レベルの人がいる。はっきり云って向いてないと思う。
しかし、そんな人に限ってえらくなったりする。
見えてる世界が違うんだと思う。あるいは、オレが見てる世界が違うのか。どっちでも同じことなんだけど。
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