ここは跡地です
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
百人の一歩より一人の百歩
新聞の教育格差のコラムを読んだ。
足が速い子は運動会で褒めて貰え、絵のうまい子はコンクールで表彰されるのに、勉強のできる子は褒めて貰える機会がない。のみならず、先生はクラス30人のうちのマジョリティを対象に授業をする。コラムには6年生になっても割り算できない子のために先生は時間を割くとあった。できる子に取っては何ともつまらない毎日だろう。
公立学校というのは万人が最低限文化的な生活を送れるような教育をしないといけないのかも知れない。百人で一歩進むことの大切さを教えることが教育なのかも知れない。
だけど、将来、本当に国家に利益をもたらすのは百歩進める一人の方だと思う。
6年生になっても割り算できない子は、中学に行っても、やっぱり割り算できなのではなかろうか。その間に100歩進める一人も凡庸な人になってしまうんだろうな。
スポンサーサイト
カチガラス
昔は佐賀平野にしかいなかったカチガラスが、最近では普通に近所に住んでいる。
いつも2羽一緒にいるような気がするので、多分、つがいなんだろう。仲睦まじく、みたいな言い方をするとほのぼの感を醸し出すが、こいつらは実際にはやたら気が強い。いつもカラスを追いかけ回している。カラスの方が大きいのに。
アオサギはカラスより大きいのに、カラスに追いかけ回されてる。鳥の順列に大きさは関係ないらしい。よくわからない。
さらに言えば、何が気に入らなくて追いかけ回しているのかも良くわからない。
うちの季節住人のツバメの巣がカラスにやられてしまったので、カチガラスがカラス追いかけていると応援してしまう。
国民車構想
新型プリウスを街で見かけることが多くなってきた。
インサイトより全然かっこいいし、旧型よりもイケてると思う。
だけど。
発表のときに、自動車メーカーからの施しの少ない一部評論家の人が言っていたように、多くの人にとっては同じ形にしか見えないだろう。少なくとも個性的ではない。
ドラッグを減らそうとすれば涙滴形状にするしかない。他の形でドラッグ削減を図って成功したとしても、涙滴形状なら更に小さくできる。
なので、ドラッグ削減の要求が絶対的なものである限り、形状に個性がなくなるのは避けられない。個性的だけど燃費が少し落ちますじゃ、この手の車じゃ致命的だ。
一方で価格競争もやってる。どっちがどのくらいの値段でどうなのか知らないが、確実なことはは同じものをたくさん作れば安くなるということだ。
ぱっと見区別つかないような車なら---この先、ドラッグ低減とスペース効率の追求が進めば、ますますこの傾向は強くなるだろう---、ハナから一種類だけで構わない。ただただ燃費が良くて、ただただ安く買える車。それが1車種あればいいよ。もう名前も要らないよ。車くださいで話が通るから。バッチも無駄だから着けなくていいよ。
車体は一種類だけあればいい。The くるま。中身だけ燃料効率上げられるようにがんばってください。もうカーデザイナーも車体の技術者も要らないから、その分もコストダウンだ。
この調子で行くとオレが生きてる間にそうなりそうな気がする。改めて考えると個性のために、無駄金払うのはアホらしいよな。しかも、個性って言ったって完全オリジナルなものじゃないしね。大きな駐車場に停めれば必ず同じ車が停まってるからな。街で同じシャツ着てる奴とすれ違うだけでも、もぞもぞするのに、考えたらえらく不自由な個性に入れ込んでたもんだと思う。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。