ここは跡地です
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著作権について語るとき彼らが語ること
久しぶりにアンドロ羊を読んだ。
毎週新幹線の中で7時間過ごすので、結構本を読める。なにかおもしろいSFが読みたかったので、傑作SFみたいなリストを眺めていたら載っていたのだけど、内容を思い出せない。ブレードランナーと全然違う話だったような気がする。なんか宗教が主題にあがってて。幸い売り飛ばしてなかったので、再読してみたわけである。
久しぶりに読むと初読で思ったより、映画のブレードランナーとかけ離れてはいないような気がした。映画の方も、ずいぶん長いこと観ていないので印象が薄れてることが大きいような気がする。最初に映画を観たのは、やっぱりセンターシネマで、で、あまりのおもしろさに次の日に もう一度見に行ったような気がする。いくつだったんだろう。そういえば、ファイナルカット版というのをちょうど今 上映してるらしくて何年前の映画だよって思う。いったい何回編集してるんだ。
でも、当時としてはやっぱりあの映画は衝撃だった。で、原作であるアンドロ羊に手を出したのだけど、映像として見せられた後だと小説のほうは そんなにインパクトはなかった。オレが最初に手にしたSF小説で、ひどく読みにくかったのを憶えてる。その次に手にしたSF小説ニューロマンサーは、さらに読み難くて、完全に挫折した。SF小説は無理だと思ってたけど、1年半くらい寝かした後に、なぜか爆発的にのめりこんで今日にいたる。
そのころに手にした一冊に映画:ブレードランナーがある。ややこしい話なので整理すると映画のブレードランナーはディックのアンドロイドは電気羊の夢を見るか?(Do androids dream of electric sheep?)の映画化なのだけど、それとはまったく別に、バロウズが映画:ブレードランナー(Blade Runner a movie)を書いていて、映画のブレードランナーはタイトルだけ、こっちから貰ってきてる。アンドロ羊にはブレードランナーという言葉は出てこない。ただバウンティ・ハンター=賞金稼ぎと呼称されている。映画のほうはタイトルが賞金稼ぎじゃ、西部劇になってしまうので違う言葉を捜してたんだろう。そして今日知ったが、映画:ブレードランナーも 実はブレードランナーという言葉を他の小説のタイトルから持ってきてるらしい。
映画:ブレードランナーもやっぱりSFなのだけど、内容は、オレ的にはアンドロ羊より全然おもしろいと思う。映画:ブレードランナーの圧勝だ。名前の通り、映画化されればいいのにと思ってた。短い小説だし。だけど、この小説は もう売ってないらしい。映画のブレードランナーの各種詰め合わせDVDが発売されるらしいけど、そんなの買うやつより、絶版になった映画:ブレードランナー持ってるオレは幸せだな、と思っていたら、なんと訳者のサイトに全文がpdfで落ちてた。横書きで読みにくいけど、確かにオレが持ってる本と同じだった。なんか複雑な気分。
たしかに、こんな本、そう売れるもんじゃないだろう。内容がそうなのに、誰でも知ってる超有名な映画と同じタイトルなのに、全く関係ない小説。知らなきゃ、うさんくさいだけの本だろう。薄いし。でも、だからなの? バロウズが亡くなって まだ10年だ。50年じゃない。でも、死んでることは間違いないし。奥さんはバロウズ自身が殺してるくらいなので、遺族とかいなそうだし。だからなの?
そういえば、ソフトウエアベンダーがメンテに来て、権利のないソフト、他社のソフトを勝手にインストールしていく場面を何度か見たことあるな。みんな 自分の金じゃないときには気前がいいよな。
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JR
今朝の予約が取れなかったので早く出かける。
みどりの窓口の前を通ると、電光掲示板の次ののぞみの普通指定席○が見えたので、並んでなかったこともあり、窓口へ。
”京都まで”、”今日は10時過ぎまで一杯なんですよ”、”じゃあ、あれは”、電光掲示板を指差す。”喫煙席でもよろしいですか”。 だから売れ残るような喫煙席は止めろよ。
そして、切符。一昨日買ったときに、行きの指定取らないだけで2000円も安いんだと思って帰ってきたら、特急券が新大阪までしかない。残りの分の特急料金を追加で買う。追加分は現金のみの扱いになります。 そっちが間違えたのにか。
いつもより50分早い電車にのれた。何時につくだろう。時刻表を見に行く。新大阪に10時44分着。で、乗換えは、と指をなぞるとなぜか いつもと同じ電車しかない。おかしい。反対に指を走らせる。10時43分発。到着する1分前に発射する。なんでこんなことになるのか。
帰り。新大阪で乗り継ぎ待ちのあいだ、在来線コンコースにいきたかったけど、いけなかった。やはり在来線ホームに出ると途中下車で特急券は向こうになるという。在来線のキオスクで大黒ソース詰め合わせを買いたかったのに。他にも在来線のほうには551の蓬莱もあるしパン屋もあるし、喫茶店もある。新幹線側はカレー屋とラーメン屋。なんか しょぼい。サンドイッチとか必ず売り切れだ。在来線の方がいけてる。東海と西日本の差か。だから、コンコースも行き来できない。
ホームに上って、指定券をチェックする。7号車13番D席。うまうく認識できない。7列目だろうか。13列目だろうか。あれ、違う。7号車だ。サイレンスカーって言ったのに、7号車になってる。呆れてしまった。あのとき、行きのサイレンスカーが一杯で、オフィスシートなら空いてると窓口のおっちゃんは言ってた。おっちゃん、自分の言葉を引きずって、帰りの分をオフィスシートにしてしまったのだ。なんで言われたとおりにできないんだろう。そんなに難しいか。レールスターって言ってるのに、京都乗換え?とか聞かれると本当に嫌になる。彼らには職業意識ってないのだろうか。窓口は全員、鉄ちゃんに変えて欲しい。
モーターショー
昔の若い人にとって、車は2人きりになれる最高のデートアイテムだった。つい最近でもyahoo知恵袋で 車持ってない人にデートに誘われたんですが、どう断ったらいいですか? って質問があったから、今でもそう思ってる人もいるのだろう。
今の若い人たちは、電車の中で、駅のホームで、繁華街の雑踏で、いつでも2人きりになれる。正確にいうと、2人だけの世界に入れる。車のような現実的な密室を用意する必要はない。
さらに携帯があるんだから、逢えなくったって車の中に並んで座ってるのから少し落ちるくらいの親密度は保てる。やはり場所を選ばないし、今度は時間も選ばない。通話無料だし。
もっといえば、車の運転できるようになる前に、一通り経験するのだから、まったく車が登場しないことは全然不自然じゃないだろう。
なんか 車そのものが時代遅れになりつつあるような気がする今日この頃。その代表選手がモーターショーで発表された速い車。あの車のあの凄さが原始時代のように見えることが、逆に未来を感じさせる。モーターショーそのものが化石だし。
子供のころ、本に載ってた21世紀は、こんなじゃなかったよな。今の子供向けの本には、どんな未来予想図が載ってるのか、非常に興味がある。やっぱり暗い未来が描いてあるのだろうか
ところで、ドリカムの歌がラジオから流れると、2人でブレーキランプを踏んでバキバキ割ってる人たちを想像してしまう。そして、何度もキスをするという。
10万km
車のブレーキパッド、ローターを交換してもらいに行ってきた。
行く途中で走行距離が10万kmを超えた。
パッド交換の途中で、左前のダンパーからオイルがにじんでるのを指摘された。指摘されなくても、もうかなりよれよれ感を感じてたから、良さそうな所だったらダンパーも頼もうと思って出かけてたのだ。
ダンパーは、まあ、すぐに乗れなくなるということも無いので、あと何年乗るかですね。
あと、水周りが心配なんだけど。
ダンパーはアレですけど、水ポンプは絶対交換しといた方がいいですよ
帰り道で考えた。多分、ポンプだけじゃないよな。プラスティック、ゴム、アルミダイカスト、素材はめちゃくちゃプアだからな。帰って来て、ちょっと検索すると、ポンプ、ホースどころかラジエターも交換したほうがいいってサイトとかあった。別にもう驚かないけど。
これから何処が壊れてもおかしくない状態で修理しつつ、乗っていくのだろうか? 修理できるようなところならいいけど。もっと心配なのは修理できるような金額ならいいけどってことだったりするし。
今の車はもちろん好きだけど、そこまで愛してるかと改めて問うと考え込んでしまう。だいたい、社会人になってから右肩下がりに車自体に興味がなくなってるし。じゃあ、下駄代わりになんでもいいかっていうと、そうではないんだよな。かといって、幾らでも金があったら何に乗りたい?とか考えても、ただの一台も思いつかない。
やっぱり、修理しつつ乗るのかなあ。
腰 いわした。
いつもは前もって切符とることはしないのだが、前回土曜日に乗ったときは指定が埋まってて取れなかった。なので、あらかじめ切符を取っておこうと初めて博多南駅に行ってみた。
博多南駅は新幹線の整備基地の手前にある。多くの新幹線が博多到着後、基地まで来るし、逆に基地から出発するので、その回送車に乗せろという住民運動が起こってできた駅だ。新幹線しか止まらないが、新幹線の駅ではない。新幹線の駅ではないなのに青春18切符は使えないとか、いろいろと独自ルールに基づく駅だ。
先日の夜、自転車に乗って行って来たのだが、着いてみると新幹線の切符を買うところは無かった。自販機さえ無かった。かろうじて、JRの旅行代理店があったが、すでに閉まっていた。
脱力してると、もう1人、改札で駅員相手に関西弁で悪態ついてる人がいた。新幹線に乗るのに、博多駅より近いと思ってやってきたのだろう。この駅は地域住民の通勤用に開かれた駅なので、夜に博多駅に向かう電車は ほとんどないのだ。本当に関西まで帰るつもりなら、その時間から他の交通手段で博多駅に向かっても間に合わないだろう。下調べして来ないのが悪い。
一方、オレはちゃんとネットで下調べしてから出かけたのだった。にもかかわらず、手ぶらで帰ることになってしまった。怒りを抱えて帰って来て、もう一度調べると確かに博多南駅にはみどりの窓口のアイコンがついてる。ちゃんと22;45までって書いてあるし。やっぱりオレが間違えたんじゃない。そう思ってしばらく画面を見ていると、お馴染みのみどりの窓口のアイコンの右のほうにちいさな灰色のバツが描いてある。なんだ、コレ。みどりの窓口はないです、の意味か? もう一度、脱力。無いなら、アイコン描くなよ。バツ描くならアイコンの上からバツしろよ。わかんねーよ、こんなの。
どうもJRのアイコンはわかりにくい。オレはタバコ吸ってたときから、新幹線は禁煙車を取ってたのだけど、頻繁に間違って喫煙車を取ってしまう。タバコを吸わなくなってから、理由がわかった。喫煙車のアイコンにも禁煙車のアイコンにもタバコが描いてあるからだ。自販機で あのアイコンを見せられると、どっちがどうなのかわからなってしまう。

現実に切符が必要なので、今日、仕切りなおして別の駅に買いに行った。最後の1席を押さえることができた。
ところで、駅まで自転車で行く途中、後方確認で後ろを向いていたときに、道路の段差に乗り上げて腰に激痛が走った。無防備で不自然な体勢のときに突き上げを食らって、腰にきた。
なんかひどく高い切符になってしまった。だいたいJR西日本が東海の尻馬に乗って、5489サービス止めるから こんな目にあうのだ。いままで何処のカードでも良かったのに、有料の自社カードに限定って サービス後退じゃないか。
でも、この腰の痛み、無駄にした時間。やっぱ、もっと早くEXPRESSカード申しこんどきゃ良かった。弱者は、どんどん虐げられるよな。
著作権
カシミール3Dを使おうと思ったのだけど、これには地図が別途必要になるらしい。オレが欲しい標高データは国土地理院が出している数値地図に入っているらしい。7500円也のCD-ROMなのだが、図書館にあることがすぐにわかった。
わからないのは、図書館の検索画面で帯出区分が「貸出しできません」になっていることだ。貸出しできなかったら、コピーは出来るのだろうか? 電話して聞いたら、「館内閲覧だけで、コピーはできません。著作権がありますので。プリントアウトはできます。」 だそうだ。使えない。
しかし、後から考えると著作権ってなんだろう? 数値地図がどんなもんか見たことないのでわからないが、文字通りの数値ということなら著作権は発生しないはずだ。それは単なるデータで、誰が測っても同じ地形になる。いやあ、さすが名人の東京は一味違いますねえ、とはならない。
データベースには、著作権が認められるらしいが、そのためには 素材の選択、配列の創作性を有してることが必要だそうだ。数値地図には 当てはまらないような気がする。
CDにはビュアーソフトが入っていて、これには著作権があるはずだ。納得いかないけど。ソフトウエアに著作権が認められるなら、機械や図面にも認めろ。著作権と工業所有権が同時に認められるのはおかしい。それはいいとして、国土地理院のサイトにカシミールで見れますって書いてるくらいだから、ビュアーソフトって著作権を主張するようなもんじゃないんだろ。
だいたい腹たつのは、図書館では音楽CDもビデオも貸し出してるのに、なんでデータにしか価値が無いようなCDを貸し出せないのか。著作権がありますから、って図書館司書が言うなと一般人は思ってしまう。みんな出ていってくれって図書館で叫ぶぞ。お前ら、みんな著作権を侵害してるぞ。
音楽CDを借りるときにコピーは一部分しかできませんとかいわれたことないし、逆にオレは数値地図のデータ部分しかコピーはいらないのだ。たぶん、聞いてもわからないような理屈で図書館では音楽CDを貸出し、データCDは保護されるのだろう。納得いかない。解決策として、国土地理院は数値地図をネットで公開しろ。そしたら、著作権で腹たてる必要がなくなる。
で〆る予定だったが、数値地図の著作者って誰だよ。やっぱ おかしいよ。
Remenber the gorilla arm!
http://www.perceptivepixel.com/
こんなところに たどり着いた。
これでCADやってるオレを想像した。フィレットかけるときは、ぎゅっと曲げるしぐさをするのだろうか? たぶん、3分持たないだろう。
こういうのは、あくまでイメージなんだと思う。最初にこのイメージ見たのはJMだったと思う。キアヌ・リーブスがデータグローブはめてやってた。原作の記憶屋ジョニーにこのシーンがあったか、思い出せない。だけど、憧れのオノ=センダイ サイバースペース7は絶対こんなチンケなもんじゃないはずだ。
今、オレが使ってるPCが文字を表示するのに、ピコピコピー、ピコピコピーとルパンⅢ世のサブタイトル表示みたいに1字ずつ表示したら、オレは気が狂うだろう。映画の中のコンピューターは、ピピピピッピッピーとワイヤーフレームで1本ずつ表示した後、シェーディングかける。21世紀の現在、人類は月より遠くに行ったことはないが、PCはフルカラーでシェーディングかかった画面を毎秒60フレームを超えて描画できる。なぜかSF映画でも、コンピュータは現実より劣ってる場合が多い。
映画の中のコンピュータがピコピコピーなのは、そのほうがリアルだから、なんだろう。映画の中のコンピュータが現実と同じ描画速度だったら、とたんにコンピュータ以外の映画の中のすべてがうそ臭くなるんじゃないだろうか。コンピュータが現実と同じ速度で動けば、その他のものがCGであることに気が付いてしまう。ピコピコピーなPCで300のムキムキな体をいちいち描いてまわることは無理なので、相対的な世界観が保たれる。残念ながら300には、PCが出てこないので全編うそ臭さにまみれてる。
ところで、タイトルのゴリラアームはジャーゴンファイルから取ってきたのだけど、そこには、ヒューマンインターフェースの古典的教訓、と書いてある。なんで人は同じ過ちを繰り返すのだろうか。
今、習得したワザ
c:ようこそ
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