ここは跡地です
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自動車レースとは何か?
なんなんでしょうね。
自動車産業と一般社会に関するリサーチってなんなんでしょうね? 市販車の空力に関するリサーチってなんでしょう? 紳士協定により風洞使うのはやめましょうということになるんでしょうか? CFDオンリーになったら、風洞以上にお金の勝負になりますよね。スパコン勝負なんですよね。
考えてみれば、自動車レースくらいアマチュアとプロフェッショナルの間に垣根があるスポーツってないですよね。だいたい、プロが使う道具がアマのものより格段に優れてるって変じゃないですか? 
「俺たち、プロだから跳ぶボールね」って言われても納得できなくないですか? 「やっぱり、プロは跳ぶよな」って、感心できますか? 上位カテゴリーの方が下位カテゴリーより速いのは運転手のおかげですか? 車のおかげでしょうか? F1だとトランクションコントロールで、F3だと自分でクラッチコントロールするのおかしくないですか? それでなくても、F3の方がクラッチ、シビアですよね。2軍が跳ばないボールで、1軍が跳ぶボール、狭いストライクゾーンだったら、どうなんでしょう? プロのハイジャンプがロイター板で、3.5mジャンプだったら興ざめじゃないですか? プロの格闘技がバールのようなもので殴っていいんだったら、つまらなくないですか?
自動車レースが純粋に自動車の運転を競うものなら、レーシングカートで勝負しても良くないですか? 前にコメントしてもらったみたいに、体に、車に感じるGに反応して車を操作する巧みさを競うなら、カートで十分じゃないですか? むしろカートのシンプルさの方が適していないですか? カートだったら、月曜=移動日で火曜から日曜までレースできそうですよ。年間140レースやったら誰が速いかハッキリしないですか? 年間9レースで日本一速い男決めるんなら、一発勝負の1レースの方が潔くないですか?
自動車レースが自動車の優秀さを決めるんなら、もう運転手は排除する方向で行きましょうよ。同じプログラムで同じコースを走らせたタイム競いましょうよ。お金バンバン使って開発競争しましょうよ。
自動車レースはスポーツですか? 興行ですか? どっちにしても中途半端じゃないですか? プロの自動車レースは誰のためにやってるんでしょうね?
 
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ルマン24時間
2000年以降は、VWグループしか勝ってないのね。
歴代でもドイツ勢が圧倒してる。
SuperGT
はじめに断っておくが、オレはSuperGTも、JGTCも観たことがない。オレにはネットで知り得た知識しかない。もっともネットでレースも観れるらしいが。
で、このレース、非常なゴリ押しで運営されてる(らしい)。興味のある人は、問題点については知っているだろうし、興味がない人にはどうでもいい話なので、ここには書かない。オレはこのレースが抱える矛盾点を解消するファビュラスでマーベラスな解決法を思いついてしまったので、ここに書いておく。
 1°) すべてのハンディキャップを廃止する。
 2°) 誰用かわからなくなった300クラスも廃止する。
 3°) 普通にレースをして、普通に順位を決める。
 4°) ただし、年間チャンピオンはファン投票により決定し、レースの結果、その他コース上のあらゆる出来事は加味されないものとする。
以上。

この方式の素晴らしい点は、主催者側が無理なく贔屓チームを勝たせることができる点だ。裏で幾らでも操作できる。そんなことをしなくても旗振りの人たちに任せておけば大丈夫だとは思うが、万一のときにもファンに不快感をもたらすことなく赤い車を勝者にしたてることができる。
参加者の得るメリットは、これまでにないコスト削減をもたらすことだ。なにしろ、レースに勝つ必要は無く、2,3回欠場しても、もしかしたら1度も出走することが無くてもチャンピオンを狙えてしまうのだ。湯水のように開発にお金をつぎ込む必要はない。求められるのはファンを釘付けにするカッコよさだけだ。そこには300も500もなければ、ワークスもプライベータもない。必要とされるのは空力的に有効なデバイスではなくて、空力的に有効そうに見えるデバイスだ。これだけで開発費は2桁から3桁下がるはずだ。
じゃあ、レースいらねえじゃん、ということになるかも知れないが、レースはアピールする場として重要なポジションになると思う。なんだかんだで速い車が好きな人だって(そういう人が見ているんだろうが)いるだろうから、レースに勝つことでファンを獲得することもできるだろう。戦略としてコストパフォーマンスは低いが。
参加者全員がこの戦略を選ぶことで開発競争が再燃することになるかも知れない。しかし、それはファンが、それを望んだということを意味するのだろうが、最終的には旗振りの人たちが結果を決定するので、それほど深刻な事態にはならないと想像される。
最後に観客。このレース、そもそも車を見に来る人たちが大勢を占めるので、観客に不利益は無いはずだ。ファン獲得のためにチームはあらゆるファンサービスを用意するはずだから、観客のメリットはここで想像する以上のものになるはずだ。
というのが改善提案の骨子である。そんなのレースじゃないという反論があるかも知れないが、じゃあ、今やってるのはレースなの?という回答が用意されている。
今、車を選ぶ最大のポイントはカッコいいかどうかだろうから、このレースの方が単純な速さを競う旧式レースより現実に即してると思う。自動車メーカーにしたって税金対策にしかならない今のレースより、偏ってはいるが市場調査になるオレ式レースの方がメリットは大きいと思うのだけど。
半開き
耳掃除をするとき(もちろん自分で)、オレは口が開いてしまうということを結婚したての頃、家内に指摘された。それまで気がつかなかった。
その後のオレの観察だと、大脳に依存するような体が覚えてる作業、脳で考えるのではなく体に反応させないと間にあわないような作業をするとき、人は口が半開きになるような気がする。
RBRやってるオレは口が半開きになっているのをしばしば確認して、にやけてしまう。WRCのトップドライバーも半開きで走っているのを思い出してしまうからだ。
前に日本のレースにはウェットなところが足りないと書いたけど、WRCの映像見てると半開き以外にもウェットなところがあって面白い。ドライバーの声には頻繁にピーッと入るし、ドライバーがコドラ殴るとか(日本のレースにもいたっけ)、ラリーの最中に警察に捕まるとか。外に向けた車載も面白いけど、車内撮った車載も面白い。乗員が二人で会話があるのと、フルフェイスじゃないから表情が見えるのが大きいよな。実際見に行っても、目の前をワーっと通りすぎるだけで大して面白くないんだろうけど。
やっぱり、シューマッハーも半開きで走っていたのだろうか? 小暮選手が半開きで走っているのは間違いないと思う。
日曜日の過ごし方 3
日曜日は、例によってレース中継を観るのだが、今年初めて、F1中継を観た。今までは、どのチャンネルでやってるのかわからなかったのだけど、朝チャンネルをガチャガチャやってたらたどり着いたのだ。
モトGPの中継を何回か観てて感じてたことをF1中継ではっきり感じた。こっちの中継はレースが終わってからが、日本の中継よりもうんと長いのだ。
カメラは、ビクトリーランの間にロス・ブラウンを捕まえて、早速インタービューするし、ピットクルー等と抱き合って延々と喜ぶところから、通路をあがってポディウムにあがるまでの一部始終を捉える。途中、スタッフと抱き合い、アロンソが硬い表情で右手を出すシーンを捉える。
スポーツを観戦するとき、人はスポーツを通してプレイヤーその人を観たいのだと思う。プレイヤーが喜び、悔しがるのを観たいのだと思う。人はそこにドラマを感じる。プレイそのものでドラマを作り出すのは難しい。結果だけで言えば、史上初めてアメリカからアメリカズカップを奪ったオーストラリアチームの勝利がドラマチックと言えるだろうが、そこからカップルーザーと呼ばれた男がカップを取り返すまでの次戦、取り戻すまでの物語の方に人はドラマを感じるだろう。
プレイそのものが一流でなくても、人気を獲得することはできる。新庄や高見盛のように。完全に試合だけしか放送されず、試合前の練習、お立ち台、キャンプ情報等、全く知らされないなら新庄の今の人気はないのではないか。彼のキャリアスタートが当時の日ハムだったら、今の人気はなかったはずだ。人は新庄のキャラクターを知ってるがために彼の打席に期待する。何かやってくれるはずだと思う。凡退しても、ああやっぱりと思う。そこで何が起きても、新庄らしいと思う。それが観客が作り上げた新庄というキャラクターで、新庄選手がプロのスポーツ選手として観客に提供しているものだと思う。
モータースポーツは、その点で明らかに不利だ。選手はヘルメットの下に表情を隠し、箱のレースなら姿さえ観えない。何の予備知識もない人が観て、感情移入することは難しい。例えば野球中継であれば、全く知識がなくても、打席で凡退し、ひどく悔しがる選手は印象に残る。そして、次の打席が回ってきたとき、今度はどうだろうと期待できる。モータースポーツには、それがない。多くの場合、車を識別することさえ難しい。モータースポーツ観戦を楽しむには多くの予備知識を必要とする。この車はあの車とここが違う。誰選手はどの車に乗ってる。 同じ車だけどタイヤが違うんだよとか、同じチームだと何がどうなの? なんで途中で給油するの?とか なんで途中でタイヤを交換するの? マスダンパーはレギュレーション違反になったんだよ。え、レギュレーションって?
ロッシがビクトリーランの途中でバイクを止めて、観客と抱き合うのを観るのにルールも予備知識も関係ない。1位になるとあんなにうれしいんだと素直に感じいれる。ポディウムで椅子に座り込み、疲れきったという仕草を彼がしてみせるとき、初めての人には彼のキャラクターが植え付けられ、次の機会があれば黄色いツナギの選手を追いかけるだろうし、前から彼を知ってる人は、彼が幾つになっても変わらないことに安堵するだろう。
日本のレース中継は、ほとんどの場合、スポーツニュースの延長版だ。グリッドに並んだところで、これまでのシーズンの展開、ピット情報があって、スタート、ハイライトシーンをつないで、ゴール。ポディウムをバックにして結果はこうです。ランキングはこうなりました。それでは、この辺で、次戦どこどこでお会いしましょう。これのどこに感情移入したらいいんだろう? ほとんどの選手はグリッド紹介の米粒なみの写真しか映らないのに、一体誰とお会いするのか? 毎レース欠かさず観てても、全員の顔と名前が一致する人が何人いるだろうか?
日本のモータースポーツに足りないところはそこだと思う。あまりに選手が軽んじられてるように感じられる。そもそもヘルメットで顔を隠して黒子的なのに、選手個人の表情が一切伝えられないのだったら、選手はいないのも同然だ。あまりにも無機質なものになってしまっている。
モータースポーツの主役は車なのか人なのか、価値観の問題になるかも知れないが、オレは人がやることは最終的には人に帰着するものだと思う。車が主役のレースは必ず、オレの主張の通りにシミュレーションに取って代られるだろう。そこに実質的な差異がないからだ。速い、かっこいいというのは現実でも仮想でもモックアップでも関係ない。そこにあるのは一種の妄想だろう。かっこいいは主観的で、速いは限定的だ。明らかにF1マシンよりヴィッツの方が速く会社まで通勤できるし、人によってはヴィッツの方がかっこいいというだろう。
勝負を取り巻く感情は、そうではない。うれしいや悔しいは常に現実のものだ。観客もうれしいや悔しいを体験したことがあるからこそ、選手に感情移入できるし、共感できるのだと思うし、感情移入したいのだと思う。モータースポーツに限った話ではないが、日本のモータースポーツでは忘れ去れてる部分だと思う。レースはもっとウェットなものにならないと、生き残るのは難しいように思う。
そういうオレは、やっぱり次も小暮選手に期待してしまう。彼なら、またやってくるはずだと。そして、そのやらかしたレースの後、マンガ喫茶で彼を見かければ、オレの中で彼は神になるだろう。しかし、残念なことに、オレは、もう小暮選手を見かけても彼だとわからないに違いない。それが現実だ。
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